top of page

大野教会牧師からのメッセージ

 先のお札にも載った日本を代表する文豪・夏目漱石は、「天下に己れ以外のものを信頼するより果敢(はか)なきはあらず。而も己れ程頼みにならぬものはない。どうするのがよいか」という問いかけを、ある手紙に記しています。

 そうした漱石の経験のごとく、わたしたちの人生の経験は思わぬ事故や病気、不和や別れ、そして死という諸問題に出会います。こうした諸問題にあって、なおも人生は生きかつ死ぬ意味や目的があるということがどこで言えるのでしょうか。

 聖書の記事によれば、イエス・キリストは、約二千年前のユダヤの国辺りで、天地の父なる神の御子としてさまざまな隣人のために、特に貧しい人々、様々な病人、被差別者などのために驚くべき救いの業を通して奉仕し、そうした愛の極みなる十字架、その報いとしての復活・昇天・父神の右の着座・とり成しなどにおいて、愛なる永遠の神の御子、救い主(王)、苦難の僕にして栄光の主(王)として、私たちをつねに招いておられます。この意味で、イエス・キリストは「愛の僕なる主(王)」であると呼ばれます。

 さらに、使徒パウロは「最も大いなるものは愛である」(聖書:コリントI 13.13)「愛がなければ、無に等しい」(聖書:コリントI 13.2)とまで述べています。

 わたしたちが上述のような諸問題の伴う人生にあって、なおも生きかつ死ぬ意味・目的は、そうした愛の主(王)にあって生かされ、その愛の主(王)に向かって日々成長して行くことにあると思われるのです。

イエス・キリストは、そうした愛の主(王)なる方として、その頭の体としての教会へと招いておられます。

お知らせ

​日本基督教団 大野教会公式ホームページがオープンしました。

日本基督教団 大野教会ホームページリニューアルオープンのお知らせ

Please reload

bottom of page